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『アヴィニョン歴史地区』はフランス旅行での、おすすめスポットであり、世界遺産の観光名所でもあります!
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↑グーグルアースで『アヴィニョン歴史地区(フランス)』を表示した画面を、画像に別名保存したものです。緯度経度は「ユネスコ 世界遺産リスト」を参照しています。
アヴィニョン歴史地区(フランス)の世界遺産データ一覧 | |
フランスの世界遺産 名所 | アヴィニョン歴史地区 |
WORLD HERITAGE [英語名] | Historic Centre of Avignon: Papal Palace, Episcopal Ensemble and Avignon Bridge |
ADDRESS [住所:英語表記] | De'partement of Vacluse, Region of Provence-Alpes-Co^te-d’Azur, France |
世界遺産 登録年 | 1995年 |
世界遺産 登録評価基準 | (i)(ii)(iv) ※評価基準の内容は下記をご参照ください。 |
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フランス南部、ロ−ヌ川のほとりに位置するアビニョンは、カトリック世界の中心として栄えた町です。アビニョンには7代の教皇の住まいとなった教皇宮殿やノートル・ダム・デ・ドン大聖堂、サン・ベネゼ橋などの歴史的な建造物が残されていることでも有名です。
このサン・ベネゼ橋(Pont St. Be'ne'zet)は、童謡『アヴィニョンの橋の上で』でも知られるほど有名です。
「橋の上で輪になって踊ろう」と歌われていますが、実際にはそんな踊れるほど安全な橋ではありません。渡ることさえ危険なときもあり、橋から転落し命を落とした者さえいると言います。
ローヌ川の度重なる氾濫により何度も橋が崩壊、その都度修復をするも、17世紀には遂に修復を断念、22あった橋脚のうち現在は4つのみが残っています。
14世紀初め、フランス国王フィリップ4世は、教会の権威を利用してヨーロッパでの主導権を握ろうとしました。そして当時の教皇クレメンス5世をロ−マからアビニョンに移し、支配下におきました。世にいう「アビニョンの虜囚」です。
教皇が住んだ教皇宮殿は高さ50メートルの城壁に囲まれ、1万5千平方メートルの広大な敷地には、礼拝堂、騎士団や枢機卿の部屋、裁判所や税務署などもありました。
教皇の寝室には、花や鳥といった自然に題材をとった画が描かれています。アビニョンに教皇庁が置かれた時代、町は大いに栄え、人口は一気に5倍にまで増えたと言われています。
しかし、70年後にグレゴリウス11世がロ−マへの帰還を果たすと、町はふたたび南フランスののどかな地方都市へと戻りました。
【主な観光地】・法王庁・サン・ベネゼ橋・ドン岩壁公園・時計台広場・プティ・パレ美術館
世界遺産への評価基準(世界遺産登録基準)とは、以下の基準「(i)〜(vi)」を満たしたと見なされ、世界遺産登録が行われています。
(i):人類の創造的天才の傑作を表現するもの。
(ii):ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(iii):現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
(iv):人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。
(v):特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状況にある場合における、ある文化(または、複数の文化)を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例。
(vi):顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。
「世界遺産委員会」がみなした『世界遺産リスト』は、顕著で普遍的価値を持っている文化的で自然的遺産の一部を形成する830のリストを含んでいます。これらは138ヶ国にわたり、162の自然遺産、644の文化遺産、および24の混合遺産を含んでいます。